「共に生きよう」あなたの行動が社会を変える。思いだけでは変わらない。

12月3日~9日までが「障害者週間」と呼ばれる期間である。

社会の小さなニュースで

「○○フォールで、福祉事業所の物品販売が行われました」

「○○を●色に照らして、共生社会の実現にむけて、啓発活動が行われました」

などが流れてくる。

20歳のときに感じた気持ち

20歳くらいのとき、障害のある方と日中、一緒に買い物に行ったりするサービスを提供させて頂いたことがある。

そのとき、その方と一緒に楽しく町を歩いていると

「障害者週間」という旗がズラッと並んでいた。

そこには、こんなメッセージが書いてあった。

「ともに生きよう」

「みんなで作ろう、やさしいまち」

その旗の前を通る町の人は、その旗をほとんど見ていない。

その前を、僕と障害のある彼と歩いていた。

僕は、そのとき自分の無力さ・悔しさ・悲しさを感じた。

そのとき感じた気持ちは

旗をたてるのではなく、

一緒に何かできることをやろうよ。

これでした。

あと、根本的なことを言うと

1週間とか期間限定でやるもんじゃないでしょ。こういうのは。って気持ち。

どんな社会にも常に「障害(生きづらさ)」を抱えている人はいるんだから。

今、となりにいる家族とか大切な人とかも

いつ何があるかわかんないだしさ。

それから10年経って

それでも、色んな人ができることやってんだな~とは思いつつも

自分がまだまだ何も出来ていないことに、悔しさを感じることがある。

じゃあ、結局

その良く聞く

「ともに生きよう」「支え合う社会」ってのは、どうしたらできるのか。

答えのある問いでないことは、よく分かりながらも

僕は、いつもどこかに答えに近いものがないか考えている。

その中で、一つあるのは

「福祉教育」である。

それに関しては、このブログでも書いている。

話が急にでかくなるが

ここ数年、よく聞くSDGsもそうだけど

「すべての人に健康と福祉を」

「貧困をなくそう」

「ジェンダー平等を実現しよう」

とかあるじゃん。

こういう言葉を聞くと

「わかるよ、でも自分には関係ない」とか

「大企業がやればいいんだ」とか

「次の世代の人達の話」とか

無関心だったり、自分には関係ないと思ってる人が結構多い気がするんですよね。

福祉教育だって、障害福祉サービスを提供している自分が学校で授業をさせて頂く機会があることは、とてもとてもありがたいことです。

でも、これだって

興味のない福祉職員・学校教員は

「時間がない」「自分がやらなくても」などの言葉を並べる

課題の1番は無関心・2番は行動できる人が少ない

たぶん、冒頭から何度も出てくる

「ともに生きよう」この言葉こそ

良いことだけど、まあ自分には関係ないかな~とか

良いことだけど、実際何をすればいいのか、わかんない~など

身近な言葉になっていないのだと思う。

で、そういう社会の現状を僕は、

いつも通り、全て自分の責任だと思い込み

全力で落ち込み、

じゃあ、何ができるのか。

それを考えてきました。

言葉ではなく行動こそ、社会へのメッセージ

今、取り組む就労支援施設での農福連携

まさに「ともに生きよう」が共有できている感覚がある。

僕らは、農家さんにとって戦力になり

一緒に仕事をしていると、そこに「障害(生きづらさ)」のようなものを私自身は感じない。

ポイントは言葉ではなく、一緒に何かをすることだ。

僕は、この就労支援にはそういった意味での可能性をとても感じている。

福祉サービスの多くが、福祉従事者と利用者(サービスを受ける人)で完結されるケースが多い。

そうすると、それに関わる人以外は

福祉が遠い存在になる。

だから知らない。知らないから、ときにネガティブな想像もする。

就労支援施設は違う。

色んな仕事ができる。仕事を通じて、色んな人と関わることができる。

そして、言葉ではなく体感で関わった人達は、何かを感じてくれている。

関わった農家さんから頂く言葉が、無力な自分への最大の報いになっている。

きっと、このブログを見て下さっている人は

思いのある方だと思います。

たぶん、行動もできている人なんでしょう。

一緒に仕事しましょう。教育させて下さい。

そういう場面が、社会でたくさんおきて

週間がなくても、自然に支え合っていける社会に

いつかなりますように。

全責任は勝手に背負い込んで、

今後も、自分のできることを頑張っていきたいと思います。

素敵な農家さんとの農福連携のブログもよければ見てください。

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